やなせたかし先生顕彰事業特設ページ
やなせたかし先生のふるさとである香美市を「愛と勇気の物語のまち」として市民の皆様と共に盛り上げ、やなせたかし先生の顕彰事業を進めてまいります。
やなせたかし先生は1994年(平成6年)3月19日に旧香美郡香北町名誉町民として表彰されています。
やなせたかし先生について
1919年2月6日生まれで、高知県在所村(現・香美市香北町)出身の両親の元で育ちました。
終戦後1946年に高知新聞入社、月刊高知編集部で編集の傍ら文章、漫画、表紙絵などを手掛けていましたが、同僚の小松暢(こまつ のぶ)さんが転職し上京するのを知り、自らも退職し上京しました。
1947年(昭和22年)に小松暢さんと結婚。
この時期、やなせたかし先生は漫画家を志しますが、東京での生活がまだ確立されていなかったために、兼業漫画家という道を選び、三越百貨店宣伝部に入社し、包装紙「華ひらく」のレタリングなどを手がけました。
漫画家として独立後は、ニッポンビール広告漫画「ビールの王さま」をはじめ多数の連載漫画を手がけるようになりますが、ストーリー漫画の興隆により漫画の仕事は徐々に減少していきます。
1960年代にはテレビ・ラジオ番組の構成や舞台の美術監督など多様な創作活動を行うようになり、マルチタレントと評されるようになります。
その中でいずみたくさん作曲、やなせたかし先生作詞による「手のひらを太陽に」が発表されます。
漫画家として独立後は、ニッポンビール広告漫画「ビールの王さま」をはじめ多数の連載漫画を手がけるようになりますが、ストーリー漫画の興隆により漫画の仕事は徐々に減少していきます。
1960年代にはテレビ・ラジオ番組の構成や舞台の美術監督など多様な創作活動を行うようになり、マルチタレントと評されるようになります。
その中でいずみたくさん作曲、やなせたかし先生作詞による「手のひらを太陽に」が発表されます。
この曲は、多くの作詞を手がけたやなせたかし先生の代表作となっています。
1969年、50歳の時に雑誌『PHP』にて「アンパンマン」を発表されます。
1988年にはテレビアニメ「それいけ!アンパンマン」の放送が開始され、その登場キャラクター数(1768体)は2009年にギネス世界記録に認定されました。
以後も精力的な活動を展開していましたが、2010年頃に目が悪くなったことを理由に引退を考えます。
しかし、東日本大震災を機に引退を撤回し、被災地に送るポスター制作など多数の支援を行いました。
2013年10月13日、94歳で永眠され、「人生は喜ばせごっこ」という自身の言葉の通り、「アンパンマン」をはじめとする多くの創作活動、そして自身の人生そのものを通して、その精神を体現し続けられました。
やなせたかし先生関連サイト
香美市でのイベント
香美市提案型市民主役事業補助金募集開始
令和6年3月4日から香美市提案型市民主役事業補助金の募集を開始しました。
この補助金は、市長が定めるテーマに市民の皆さんの自由な発想と視点を生かすことで「香美市のまちづくり」に役立つような、さまざまな事業に対して補助を行います。
ぜひ活用をご検討ください。
懸垂幕と横断幕の設置
2024年1月22日に「愛と勇気の物語のまち」の懸垂幕と横断幕を設置しました。
設置日がはからずも「イーふうふ」の日となりました。
香美市役所本庁舎
保健福祉センター香北
奥物部ふれあいプラザ
NHK歓迎セレモニー
2023年11月30日
NHKチーフプロデューサーの倉崎様が香美市に来てくださいました。
市長との座談会には、地域住民や関係者が参加し熱烈な歓迎となりました。