土佐山田町小田島から神母ノ木(いげのき)にかけて物部川を横断する水取り堰です。
寛永十六年(1639年)、土佐藩家老の野中兼山は先人の遺した業績をもとに、大量の石材と松材を使って長さ327メートル、幅11メートル、高さ約1メートル50センチの堰を築きました。完成まで二十六年を要したといわれています。
この堰は下流の平野を潤し、多くの米収を得、また舟入川の運輸を利用することにより土佐藩の経済に大きく貢献しました。