土佐天文学の先駆者でもあり、高知城の位置が北緯三十三度半強と測定したのは、伊能忠敬より一世紀以上も早い段階だったといわれています。
四十歳のとき五代目藩主山内豊房に召されて高知に移り、藩士たちに講義をしました。
死後も学問は子孫と門人に受け継がれて、土佐藩教学の中心となり、多くの人材を輩出してのちの明治維新の原動力となりました。
現在は学問の神様として親しまれ、多くの人が合格祈願に訪れます。国指定史跡です。