野中兼山は土佐の歴史に不滅の業績を遺す一方、各地の大工事での過酷な使役や産物の自由取引の禁止など、庶民の生活を圧迫したので、怨嗟の声が高まり、ついに弾劾を受け失脚しました。家督を長男に譲ったあと、明夷軒と名づけるこの別邸に隠居しました。
香美市指定史跡です。